2009年末 今までの振り返りと決意

1月2日をもちまして、ついに28歳になりました。昨年は自分にとっても本当に激動の一年間でした。年末にかけて色々と思わんとすることを整理したので、あえて2009年末今までの振り返りと決意ということで、2010年の年頭所感に代えてこちらに掲載しておきます。いつも身の回りで支えてくれている皆様にこの場を借りて感謝申し上げます。


1.はじめに

人は誰でも死んでしまうんだと知った。普段から健康でも、若くてもその限られた生はランダムで終わりがある。


突然死。


ひとりの大切な友人を失った。サーファーであり優秀な人材、酒好きで優しくて誰からも好かれる存在だった。その日はちょうど二人でゴルフの打ちっぱなしに行く約束をしていたところだった。享年30歳、あまりにも突然過ぎる死だった。またそれから一か月も経たないうちに彼女の大学の先輩がマラソン中に亡くなった。なにがなんだかわからなかった。ちょうど浮遊する手に招かれるように、誰彼構わず連れていかれているようだった。


2.経済環境の変化と事業を行うということ

2008年のリーマンショックを景気として訪れた世界経済全体の低迷は、2009年度の自由診療を中心とするグループ全体の事業にも大きな影響を及ぼしており、組織内マネジメントにおける課題、従業員のリストラ、コストカット、各ベンダーへの支払い遅延や交渉など、様々な人の利害や思いが交錯する、厳しい日々が続いていた。


そんな中でも自分が常に意識していたのは、誰に対してもフェアであること、誠実であること、自分自身の行動と言動に対する責任の持ち方、ただそれだけだった。全ての問題をパーフェクトに解決するには限界がある。ともすれば、多くの課題やコンフリクトが発生する日々の中で、どのように行動するか。身の切れるような思いがあったり、短期的な利益を失ったとしても、中長期のビジョンにおいては困難から逃げずに立ち向かっていくことこそが、20代後半に差し掛かっている自身にとっての挑戦でもあり、必ずや肥しになると確信していた。日々の経営上の意思決定や組織の形成、企業文化、日本における金融機関からの借入にあたっての個人保証という制度などの背景もあり、創業者でありいわゆる代表取締役(CEO)としての役割の重要性、一般の取締役、株主との責任や権限の違いというのを強く感じた日々だった。


人間、危機や厳しい状況に直面すると、大きく行動に跳ね返ってくる。それがその人の本質という見方もあるかもしれないし、いやいやそういう状況にさえならなければ、別の関係性、道があったのかもしれないと思うこともある。


ヒト、モノ、カネ、情報という要素が企業の経営にとって重要であるということの意味、事業を創造する上での責任と権限、創業するということの意味を改めて考えていた。世界経済全体が停滞している時だからこそ、脅威の中に存在するビジネスチャンスもあり、コンサルティングという机上のものではない、生の事業というものを体感する良い機会であったように思う。


3.精一杯生きるということ

週末は日の出前から一緒に千葉や茨城、伊豆にサーフィンに行き、民宿で夜はネットに繋いでオンラインで仕事。平日はお互い思いっきり仕事に打ち込んだ。お金よりなにより、田舎の温泉にいったり、定食やさんにいったり、海辺で日の入りを眺めたり、そうした生き方の素晴らしさを教えてもらった友だった。


Life is very beautiful, but too short. だから我々は一生懸命、日々を全力で生きていく必要があるということを言葉ではなく身をもって痛感した。


過去に起こったことは変えられない。その意味づけをどう捉えて行動するか、全ては自分次第と思って今まで生きてきた。仕事でどんなにつらくても、お金など手元になくてもなにより守りたいものだったのに、、でもそうと気づいた今はどうすることもできない。事業を通じてこの世界に貢献したいと願い、医療に携わってきた自分が、自分の身の回りの大切な人一人守れずなんの意味があるんだろうか。わけもわからず泣きじゃくりながら、数日間は宙に浮いたような心持ちだったことを朦朧と覚えている。


めったにしないような話題が上ったとき、身の回りの友人たちから会社の上司や友人づてになど、原因不明の信じられないような突然死が実は自分たちの身の回りで起こっていることを知った。実際、統計によれば年間50,000人、1日あたり約130人もの人が心臓突然死で亡くなっており、40代、50代の働き盛りであったり、20代、30代のもっと若い年代でも例外ではないということだった。


もうすでに一生分の後悔はした。十分過ぎるほど悲しんだと思う。突然死はその特殊性から、交通事故や癌などと異なり、家族も運命として受け入れるしかないと諦めることが多いのだという。でも、本当にそうだろうか。予防はできなかったのだろうか、早期に予兆を発見はできなかったのだろうか、現代の最新の医療技術をもってしても本当に防止することはできなかったのだろうか。社会の仕組みが違っていれば、もっと認知が進んでいれば助かった命かもしれない。もうこんな悲しい思いは二度と起こしたくない。そんな中、自身も立ち上げに関わった日本医療学会の突然死ゼロアクション運動に再会した。